「おっとっと」序

 自分の話をゆるく物語として書いていきたいと思います。形式はコロコロ変わるかもしれませんが。

 

          『おっとっと』

 

                   序

 

 私は、奈穂とテーブルを挟んで座っている。テーブルにはコーヒーが二つ並ぶ。店内はビリー・ジョエルの、ホネスティが流れている。

 昔、父の車でよく流れていた曲だった。以前までは、曲は知っているが曲名や誰が歌っているのかまでは分からないという状態だったが、先月、ラジオでこの曲が紹介されており、曲名と歌っている歌手の名前を知った。すぐに曲をダウンロードし、先月はよく通学中に聞いていた。

 ビリー・ジョエルがホネスティをリリースした一九七九年の十六年後に私は生まれたため、世代は全く違うのだが、父の車で聴いていた頃の思い出が呼び起こされ、懐かしい気持ちになる。この曲を聴くとテニスをやりに車で三十分かかる総合運動公園に行く道中を思い出す。助手席に座り、背もたれを倒し、太陽を浴びながら天井を見ている自分の姿が決まって蘇る。曲を聴くだけでその時の情景が鮮明ではないが、暖かな気持ちと共に思い出せるのだから、改めて音楽は偉大だと感じる。

 店内に流れるホネスティは名曲ではあるが、ただ、BGMにしては音量が若干大きい。

「ちょっとBGM大きいけど大丈夫、場所移動する?」奈穂に訊ねる。

「ううん。ここで大丈夫だよ。それにこれくらい音量が大きければ、私たちの話とか周りに聞かれないだろうし」奈穂はそう言うと、微笑んだ。

「あまり人に聞かれなくない話なの?」

 五日前に奈穂から「竹馬の友として真生に聞いてもらいたい話があるんだけど、会えるかな?」と電話があり、「今週末なら会えるよ」と答えた。電話では、会う場所と時間を決めるだけだった。今日、奈穂が何を話すかは知らない。

「そんなこともないけど、でもどうだろう、やっぱりあまり聞かれたくないかも」と歯切れの悪い返事が返ってきた。「実は、私ね…病気だったの」奈穂は自分のコーヒーに目を落としながら言った。

「えっ、病気?」意外な単語に驚きを隠すことができなかった。それは今までの奈穂と今私の前にいる奈穂に差がないからだ。体型も以前と変わった様子はない。

「そんな風には見えないけど、いつの話?」私は言葉を選びながら言った。

「二年前に体調を崩してそこからしばらく入院していたの。でも最近はだいぶ落ち着いていて、今はこの通り元気になってきたんだけどね」奈穂はコーヒーを見続けている。

「二年前って…知らなかった。ごめん」

「ううん、気にしないで。真生はちょうどドイツに行っていた時期だったし」

「あー」私は大学二年の秋、今から二年半前に一年と六ヶ月の間、ドイツに留学していた。地域に密着したスポーツの体制を学ぶため、その分野において進んでいるドイツを留学先に選んだ。留学していたとは言え、気がつかなかったことに少し不甲斐なさを感じる。

 奈穂とは幼い頃からずっと仲が良かった。ただ、その仲の良さ故に他の友人より連絡を取る頻度が少ないのは事実だった。最近、奈穂と連絡を取ったのは、留学するか悩んでいた時にどうしたら良いかを相談した時と帰国して『留学についてゆっくり話したいから暇な時に会おう』とメッセージを送った時ぐらいだ。今思えば一年前の私が送ったメッセージに対して奈穂の返信がなかったのは、病気が関係していたのかもしれない。普通の友人だったら、どうしたんだろう、と思うこともあったかもしれないが、奈穂との信頼関係に絶対的なものを感じていたため、そのことを気にかけることもなかった。「私が奈穂にメッセージを送った時期って、ちょうど一年前ぐらいだよね。あの時はどうだったの?」コーヒーに目をやる菜穂を見ながら訊く。

「あの時は微妙だったかな。良くもなく悪くもなく。ただ、私の病気のことを知らない真生に対して返信をするほど心の余裕はなかったかな」奈穂はそう言うと顔を上げて、私を見ながら「ごめんね」と目を細め、少し恥ずかしそうにしながら謝った。

「いやいや、別に気にしてないよ」私は手を顔の前で横に振る。「それにしてもなんで今日、私に話してくれたの?」奈穂に訊く。

「うーん、テレビに浅田真央ちゃんが出ていて、ふと、真生のこと思い出してさ『ゆっくり話したいなあ』って思ったんだよね」そう言って奈穂は笑った。

「すごくくだらない理由! 深刻な話にしては、会う理由が適当すぎだよ!」

 奈穂の笑いにつられ、私も笑った。本当に浅田真央さんを見て、会おうと思ったのか否かは分からないが、奈穂はこの話をあまり重い話として受け止めて欲しくないのだな、と感じた。

「真生と会う理由なんて、いつもくだらないことばかりじゃない? 『クリスマスにポインセチアの葉っぱが萎れてきたから一緒にポンセチアの育て方を調べよう』とか『家の本棚の本の並べ方を一緒に考えよう』とか。そんなのばっかりだったよ」

「たしかに」そう言いながら、昔の奈穂との思い出が一気に蘇り、思わず笑みが溢れた。「そんなのばっかりだったね。むしろ今日の動機が一番まともかもね」

「うん。なんか懐かしいわ」奈穂も私と同じように笑みを浮かべている。

「奈穂とは中校生の時まではほぼ毎日一緒にいたよね。高校生になっても二ヶ月置きぐらいで会っていたっけ? そう考えると大学生になってからか。会わなくなっちゃったの?」

「まあ、そうだね。大学になってそれぞれ一人暮らししてからはなかなか会う機会がなかったね。でも、大学一年の時はよく私が真生の家に遊びに行っていたけど」

「あー、そうだったわ。大学一年生までは結構会っていたわ。じゃあ、最後にあったのが、大学一年の時か」

「そうだね。真生は留学で成人式は来なかったから」

「成人式かー。奈穂は行ったの?」

「行ってない。もうその時は入院していた時期だったから。それに真生が行かないなら私も行かなくても良いかなと思って」奈穂の病気という言葉に私は一瞬顔が強張ったが、奈穂は表情を変えることはなかった。『病気』という言葉を奈穂の口から聞くと私の思考は一旦停止し、その後何を話せば良いのか迷ってしまう。

「そうだったんだね」と相槌を打ちながら私は逃げるようにテーブルに置かれたコーヒーに視線を落とす。どんな病気なのか、今までの経過について訊くべきか、奈穂が話すのを待つべきなのか、頭の中はそのことでフル回転だった。そのことが奈穂に伝わったのか、奈穂は「最初に私の病気について話した方がお互い気楽かな?」と言った。私はできるだけ平静を装いながら「そうかもね」と少し表情を緩めながら答えた。

 奈穂は一口コーヒーを口に含み、腕に付けていた腕時計を外しテーブルの上に文字盤が見えるように置く。そのことに何か意味があるのかは分からなかったが、私はその様子を見て少し緊張を感じた。すると奈穂は「怖い顔、しないで」と笑いながら言った。

「怖い顔してた?」緊張感から顔がこわばっていたのかもしれない。

「してた。そんな改まって聞かないでよ。気楽に聞いて大丈夫だから」

「そうなんだけど、なんか緊張しちゃってさあ。しかも時計テーブルに置いたから話長くなるのかなと思って」引きつった笑顔を浮かべながら言う。

「あー、これね。違うわよ。この腕時計少し重くてずっと付けていると痛いのよ。だからここにいる間は外そうと思っただけ」

「そんな理由だったのね。紛らわしい行動は慎んでよー」

 私たちは若干の緊張がほぐれ、お互いに笑顔になった。二人の間に流れていた緊張した空気も少し和んだ。

「えっとね、今から二年前の大学二年の十二月に体調を崩したの。友達とスケートをしに遊びに出かけて、帰ってきたら急に熱が出たの。その時は、疲れからの風邪かなって思ったんだけど、次の日朝起きてトイレに行ったら」そう言うと奈穂は顔を近づけてきた。それに合わせて、私も顔を近づけると奈穂は耳元で「血尿だったの」と囁くように言った。『血尿』と言う言葉自体は決して笑えない言葉だが、奈穂のその耳元で囁くように『血尿』と言う言い方が面白く思わず笑ってしまう。深刻そうな話をできるだけ面白く話そうとするのは昔からの奈穂の性格だった。そのことを思い出し、さらに私は心が穏やかになって行く。

「それで?」

「それで、びっくりして、取り敢えず、何事もなかったように部屋でまた寝たの。怖すぎて、病院に行く気にもなれなくてさ。でも、あまりにも怖くて、誰かに話したいと思って、お母さんに電話して、そのことを話したの。そしたら『すぐに病院行きなさい』って言われて、その言葉に背中を押されて病院に行ったんだよね」奈穂の母親は私も昔からお世話になっており、よく知っている。とても優しくて、私が奈穂の家に遊びに行くといろいろな料理を振舞ってくれた。どの料理も美味しかったのを覚えている。私は『アイコさん』と呼んでいた。

「奈穂が血尿出たって言ったらアイコさんはすごく心配しそう」

「うん。すごく心配していた。すぐに入院先の病院に来たし」奈穂は苦笑いをしながらそう言った。

 アイコさんは奈穂にとても愛情を注いでいた。過保護というわけではなく、お祭りなどで夜遅くまで遊んだりすることに対して何かを言うこともなく、進路を決める時も奈穂の好きなようにしなさいとほぼ放任しているようだった。ただ、奈穂と接する時は常に愛情を持って接しており、かなり奈穂を甘やかしているのは見れば分かった。アイコさんにとって娘に愛情を注ぐことは誇りに思えることのようで、私と会うとほぼ毎回「奈穂には沢山愛情を注いでいるのよ」と誇らしげに話していた。その度に私は笑い、奈穂は無表情になった。

「アイコさんらしいね」私は微笑みながら言う。

「そうね」

「それで? 病院行ってどうしたの?」話を戻す。

「それで、取り敢えず病院行って、血液検査したら、『すぐに入院してください。入院する前に取り敢えず点滴した方が良いので今から点滴しますね』って言われて、あっという間に点滴して入院手続きして、入院病棟に移動したの」

「だいぶ展開早いね」

「そうなの! もう何が何だかよく分からなかったよね。でも、さっき言ったようにすぐにお母さんが来たから入院の手続き関係は全部やってもらえて、入院当日はベッドでずっと横になっていた」そう言った後に「と思う」と付け足した。「当日はそんな覚えていないけど確かそんな感じだったと思う」

「言っても、二年前だしね。うろ覚えだよね」

「そうそう。というか、入院当日のこととかはどうでも良くて、医者の診察とか尿検査とエコー検査とかそう言う検査を一通り終えて、医師からの病状についての説明を受けた時のことを話すね」そう言うと今までの微笑んだ表情から一瞬、真顔に変わった。

「医師から病名を告げられたの」

「うん」そう相槌を打った声は若干かすれていた。

 奈穂は、私の緊張した声を聞いて、自分の表情がこわばっているのに気がついたのか、少し視線を落とし、ゆっくり瞬きをしてから、再び笑顔を作って視線を私に戻した。

 そして、奈穂は病名を言った。

 

続く。